説得力は経験の上に立つ
私の経験を参考に
浪人という、一般社会では聞きなれない、あたかも扶持を失った侍のような生き方をし始めてから30年くらい経過した。
中学生の頃から地元では有名な不良を気取り、当時の高校進学率を思えばあり得ない様な理由で高校進学を拒否。
だがせめて高校だけは行ってくれとの母の気持ちと、好きだった担任教師や悪友の説得により、不良の吹き溜まりのような高校へ進学したが、理由も分からぬまますぐに退学させられてしまう。
少しは真面目になろうか・・・
仕事をしなければ・・・・
しかし、高度成長期の日本を支える骨子たりえる人材を大量生産していた頃である。
「高卒以上・要普通免許」
という、示し合わせたように同じ条件を提示してくる求人誌掲載の会社が私を必要とするはずがない。
高校中退ということがこれほどまでに人生を狭いものにするのかと思いつつも、他人事の様に日々ダラダラと暮らしていた。
とうとう見かねたのか、頼れるのは中退した高校の担任だと言う母は、私より多く通ったといつも愚痴っていた高校に出向き、先生に懇願したそうだ。
お陰さまで、ガソリンスタンドへ就職出来ることになった。
その後、ここで間違いを犯してはいけないと思いつつ必死で仕事に取り組んだせいか、上司に認められ、あるいは顧客に買われ、これも流れと言うものなのか、「高卒以上」が本来の条件だが「そこは目をつぶるからウチの会社に来い」との、たくさんの声がかかり、その中から選んだ、小さな会社に転職した。
収入面だけみれば、とりあえず、その時点での高卒の平均レベルよりは上だった。がしかし、いつも金が足りなかった。
なので死ぬほど働いた。
何でもした。
金欲しさゆえの事である。
真面目に働く一方で、法を犯しつつ、汚れた金を儲けることもしばしあった。
10代の頃は、車をいじる事とギターを弾くことが好きだった。
引く手あまたの各ヤクザ団体に所属しなかったのは、不始末で指を落とした場合にギターを弾けなくなるからだ。
大きなコンサートにも出たし、一方で暴走族の集会にも出ていた。
やりたい事が多すぎる。
欲しいものが多すぎる。
だからいくら働いても金が足りない。
どうしよう・・・
「高校中退」と履歴書に書いてへつらうより、自分で会社を興した方が良いに決まっている。20歳の時、自分で一軒家を購入し、自立していた事も動機として相俟って、20代前半で経営者になった。
バブルはもう弾けていたが、それでもコンスタントに毎年数億の稼ぎをたたき上げていた。
英語も広東語も話せないのに、勢いで香港へ渡り、貿易のイロハも分からないまま日本へ送った様々な商品が、数多くヒットした。
その要領でイタリアへ行き、有名なアパレルブランドと契約したり、アウトレット商品を輸入したりもした。
この頃は多くの従業員を抱えていたし、彼らの背景には家族もあったので、それほどの無茶はしなかったが、不良っぽさは抜けておらず、盛り場に毎夜足を運び、豪遊を繰り返す日々を送っていた。
自分が一日に幾らの金を使っているのかさえ分からなかった。
「世界でトップクラスの経済大国日本に、俺の若さで、俺より上はいないだろう・・・だから俺は将来天下をとる!」
高級なものの全てを手にし、札束の臭いが体にしみこむほど大金を持ち、ばら撒いていたのだが・・・
30歳を目前にした頃だっただろうか。
自分の考え方に明らかな変化が見え始めてきたのだ。
何かが違う・・・
俺は何のために生まれてきたのか・・・?
どん底のはずの人生が、なぜ思うままに成功し、あるいはやりたい放題ができているのか・・・?
いや、今の仕事は本当に望んでしているものなのか・・・?
自分には何か、使命、と言うよりは責務があるのではないのだろうか・・・?
この先、必ず訪れる“死”を迎えたとき、金で満足した自分を悔いないか・・・?
そもそも人間は、どこから来てどこへ行くのだろうか・・・?
死とは何なのか・・・?
世の中とは何なのか・・・
古くはアーユルヴェーダの哲学やギリシャの哲学から唯心論、孔子、インドの思想、神話、超常現象、脳科学、宇宙論、量子力学、カオス理論、科学哲学、形而上学、アインシュタイン、ホーキング、朱子学や陽明学、心理学・・・
経営者として感じていた、世に対する義憤がそうさせたのか、政治思想、国家主義や民族主義、全体主義、法治の矛盾、経済学、カント哲学から派生した社会主義、共産主義、アメリカの民主主義・・・枚挙に暇ないが、日に得られた知識に無駄は無く、それらの学問は、確実に、私の人格形成とそれから歩むべき道を照らす灯りとなっていた。
然るに一方、不思議なほど、仕事が上手くいかない。
それまでの、まるで超常現象の様に思い通り事が運んでいた私の経済活動が、まったく逆に、しかも底知れず落ち込み、とうとうその日に食べる事さえままならなくなったのだ。
同世代が抱いていた、はち切れんばかりの嫉妬心が矢となり、体中に突き刺さり、身動きが、できない。
それは取引先のみならず、仲間と思っていた人すべてが、溺れて弱っている私を仕留めるには今しかないとばかりに石を投げつけた。
重い石、刺さりそうな鋭い石、様々な苦を投げつけては新たな武器を仕込み、また投げるといった様だった。
家に置いた幼い我が子がいなければ、私の人生はここまでであっただろう・・・が、しかし、その頃だ。
天は、私に命の捨て場を用意しつつ、一人の、偉大な、それこそ一般人が近づく事など到底出来ないような、あるいは世が世ならばどんな紹介を受けようがその席の末端に座布団を敷くことさえあり得ないほどの、巨大な人物を、私の師としてめぐり会わせてくれたのだ。
頭山満より数えて直系三代目、頭山家本家の当主、最後のサムライと呼ぶに相応しいであろう巨人・頭山立國氏。
その頃の私は、重度の狂犬病に罹った野良犬の末期的症状と言って過言でない状態で、日々、ゴミをあさっては家で待つ子供たちにギリギリの粗食を運ぶといった様な有様だった。
その私に、“縁”という単純な理由で側につく事を許してくれ、咬まれることなど考えず、それこそ猛獣に手でエサをやる様な感覚で大切な温かい手を差し伸べてくださった。
「金があろうが無かろうが変わらない人間になりなさい」
「人を観ず、そのうしろに大きく構えている天の意思を感じなさい」
「家を大事にしない者に国は語れないよ」
「嫌なことにも良いことにも必ず意味がある。よく考えなさい」
とても、やさしかった・・・。
それから30年ほど経過した今、私は頭山立國会長付き秘書として凛と生きている。
「君が実際に経験し、会得したことを世の中の人に知らしめるのも仕事だよ」
と、ならば、まずは3人の子を持つ親として、頭山精神か、あるいは日本精神というものの影響を受けた父(私)が、子供との関係をどう築き、進行中であるが結果、どうしているかということを実際の資料として、日本人の本来というものを宣布しなければならないと思いたった。
子供には子供の言い分があり、言いなりにならないものだ。
親はこの点を肝に銘じて振る舞わなければならない。
子供たちは親の所有物でもペットでもない。
<カルロス・ゴーン>
一真会では、このプロジェクトを通して、開催地域の住民と繋がり、その地域から選出された政治家や自治体の問題点や良い部分などを明るみにし、あるいはその地域から立候補する予定の政治家を応援したりといった政治活動を行います。
私が通ってきた道を参考にしてください。
※ちなみに画像はイメージですからね!
横浜の不良は、おおかた、若いころに出来た彼女とそのまま付き合って、早い結婚をする。今は知らんが。よって、20歳~25歳くらいの間に、ほとんどの友人が結婚したが、私の場合は、中学3年生の時に某駅近辺で見かけた今の妻と18歳から付き合いだし、25歳で結婚した。彼女は素っ堅気の家の出で、私は交際期間中、必ず門限の23時までに送り届けていた。結婚する前に泊りがけで旅行に行ったのも、外泊したのも合わせて数回程度。つまり、彼女にうるさくされるのが嫌いな私にとっては、とりあえずナイスな彼女だったのだ。私は、彼女を家においてから、いつも何処かに遊びに行っていた。
~以降、参加者専用ページで
2018年現在。長女は25歳。小学校で音楽に興味を持ち始め、中学で吹奏楽部に入部。浪人ということで私に時間があったのと、昔から私自身も音楽が好きだったこともあり、保護者会の会長やPTA役員ほか7役ほど同時に引き受けつつも吹奏楽部の部長も兼任。文化祭では、私の指導によりポップスをジャズテイストに編曲したものを吹奏楽で演奏。私は、エレキギターを肩から下げつつ、娘と同じ舞台で演奏するという夢のような事が実現した。高校は、
「日本で一番強い吹奏楽部がある学校に行きたい」と言う娘の気持ちを汲み、縁もゆかりも無い東京都市部某所へ家族で引越し。偏差値から見て半分くらい下げての進学であったが、勉学が目的ではないので問題にならない。頑張り屋の娘は1年生からレギュラー入り。それからは
~以降、参加者専用ページで
プロ野球選手と多くの縁があった私だが、私自身としては何ら野球に興味が無く、「将来は息子とキャッチボールをしたい」とよく聞く親父の夢物語など一度も口にした事は無いのだが、息子が小学4年の頃、たまたま遊びでキャッチボールをしたところ「野球をやりたい」というので、学童チームに入団させた。多分、日本で下から5番目くらいに弱いチームだったのだが、私も活動に協力し、同時に野球を勉強し始め、結局コーチになり、それから長く続く野球の道に息子と一緒に入っていった。
1年ほどで娘の高校進学のため東京都市部に引越し。楽しかった最弱チームの子供たちとお別れするのは寂しかったが、息子にしてみればステップアップの機会である。
考えもしなかった土地ゆえに右も左も分からず、どんなチームがあるのかさえ分からぬまま、
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容姿や性格が私の生き写しのような次男坊。だが、彼は障害者だ。右後頭葉頭頂部から側頭葉にかけて観られる脳内皮質形成異常を因子とした難治性癲癇、ADHD、後発で思春期の精神障害、手術の影響により知的障害、左側視力を失い、原因不明だが会話する能力も失った・・・・。命に関わるし、軽くても半身麻痺、運動機能障害、視覚障害、言語障害などの危険性があると言われる手術を6度も受け、結果、知力、左側の視野、話す能力などを失ったが、持ち前の、寒気を覚えるほど強い精神力と真っ直ぐな心は今も生きている。
~以降、参加者専用ページで
中学1年生くらいから少々グレ始めた私だが、学校に行かない時はいつも犬の散歩をしていた記憶がある。「なんで学校来ないの?」「いや、犬の散歩が忙しくて・・・」みたいに。5歳くらいの頃、父が、団地なのに白いスピッツを連れてきて、飼い始めた。それからというもの、犬に対しては変に優しい人格が単独で成長していったようである。小学校低学年の頃に抱いていた将来の夢(?)は、保健所にマシンガンを持って入り込み、犬を殺している職員(スンマセン)を全員銃殺し、閉じ込められている犬を全頭開放するとした活動を全国展開することだった。もちろん、今は落ち着いたが(←当たり前だ!)、私の政治活動の一つに「ペットの殺処分ゼロを目指す」というものがあるのはそこから来ている。
本文には参加しないと思います。
私は、長男が世話になった中学硬式野球のクラブチームでコーチ兼GMの役をいただき、多くの時間をよその子供たちと過ごしていたが、この夏をもって引退させていただいた。
家ではオヤジとしての役目もこなしていたつもりである。
小学生から大学生まで、まわりは子供だらけの状況が20年位続いたか。
長男の友達の中には、私と遊びたくてウチに来るような子もいたが、今はずいぶん静かになった。
長男の友達は今でも忌憚なく私にあいさつしに来るが、昔は可愛かった奴らでも大きくなると何となく気持ち悪いので、最近はなるべく関わらないようにしている。
そんな私だが、師、頭山立國会長が言う、「親として悟った事を宣揚」するには十分な経験をしてきたと思う。
これもまた“縁”として、参加者の皆様方と共に有意義な価値を高めたいと願う。
参加者は専用ページにログインして受講いただけます。
また、質問や相談事、何らかのコンタクトを取りたい方も専用ページから行います。
定期的にライブ配信を行います。
また、ライブ配信の日時が合わなくても録画したものを専用ページ内で公開しますのでスケジュールが合わなくても大丈夫です。
スケジュールは専用サイト内で公開します。
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不定期に対面での勉強会や講演会を開催します。
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参加費用は1か月1000円(税込)となっています。
参加費用は毎月クレジットカードより自動引き落としとなります。
中止する場合はメールでお申し付け、もしくはご利用カードの設定にて支払い停止をしてください。
お申し付けいただいた場合は、翌月より引き落としされなくなります。
人を選ぶとき、家族を大切にしている人は間違いない。
仁者に敵なし。私は人を使うときには、知恵の多い人より人情に厚い人を選んで採用している。
<渋沢栄一>
このイベントに関するご注意
家族だから幸せなんじゃない!野原家だから幸せなんだ!
俺とみさえとしんのすけとひまわり、この4人で幸せを作ってるんだ
<野原ひろし『クレヨンしんちゃん』>
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